ほんとうの扉
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   ◇ 現実界を生きる                                    


 ほんとうの扉
 ■現実界のあるところ  ■ふたつの現象世界  ■ 認めたものが顕われる ■ 物理学が導くもの
   ■ 環境はこころの鏡 ■ 心に巣食う罪悪感 ■ 罪悪感の浄化法
 
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 現実界のあるところ
まず、いま私たちが生きている『現実界』とは何なのかを考えてみましょう。
根本世界には、実相の世界と現象の世界と、大きくふたつの世界が存在しています。
いうまでもなく、ほんらい「ある」根本世界は、ひとつだけです。それは存在のすべてを包含している【絶対理念】です。
実相世界は、その【絶対理念】の裡にある世界です。そして現象世界は、実相世界の裡にある世界です。それらの領域は重層的に存在しています。
実相の世界とは、絶対界であり実在界であり、ほんとうの世界のことです。
現象の世界とは、相対界であり仮相の世界であり、幻の世界のことです。
私たちはいま、現象の世界の現実界に存在しています。
この現実世界は、現象の世界の裡にあり、その現象の世界は、実相の世界の裡にあります。つまり、私たちがいま現実世界で生きているということは、現象の世界でも生きているということであり、そもそも実相の世界で生きている「生命」であるということなのです。正確には、ほんとうの私たちの「生命」が、実相の世界に実在しているからこそ、この現実界にも「現象の生命」として存在しているのです。

 
◇ 絶対理念に内包されている、それぞれの世界の位置関係を示してみました ◇
  { 絶対 〔 実相  現象 『 現実界 』 世界 】 世界 〕 理念 

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 ◆ ふたつの現象世界
私たち(現象の私たち)はいま、現実界にいます。
現実界は現象の世界の裡に存在している領域ですが、現象の世界にはもうひとつ、霊界(幽界を含む)という世界があり、霊界は現実界を包んでいます。現象界のなかに霊界があり、その中に現実界があるのです。霊界と現実界は、世俗的に表現すれば、「あの世」と「この世」と表現してもよいかもしれません。
「あの世」が「この世」を包むような位置関係であり、これもまた重層的に存在しているのです。
現実界(この世)は物質の世界であり、霊界(あの世)は霊の世界です。
私たちがいま存在しているのは、「この世」の世界であり物質界です。縦・横・厚みの3次元の空間と、時間という1次元を加えた「4次元の時空間」にいる、ということになります。
「あの世」の世界は霊界で、次元的にも数十次元まで階層的に仕立てられているといわれており、時間的にいっても、私たちの感覚を超えた次元です。

仏教ではこの現象世界のことを「三界」といいます。「欲界」「色界」「無色界」という三界です。
「欲界」とは、あれ欲しいこれ欲しい、欲しい欲しいの「欲望の世界」であり、決して満たされることのない渇望の世界のことです。
「色界」とは、欲望の世界を離れてはいるが、いまだ不自由な物質的な世界のことです。
「無色界」とは、物質を離れている世界のことで、「霊の世界」のことを指しています。
私たちは比較的容易に、この三界に分けられる現象世界を行き来することが出来ます。これらの世界は重なるようにして存在していますから、霊的な能力のひらけた人は、現実界にいながら幽・霊界を視覚的(霊眼)に捉えることが出来ますし、霊耳・霊鼻といって幽・霊界の声を聞いたり、香りを感じたりすることが出来るひとなどもいます。
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認めたものが顕われる
「三界は唯心の諸現」と、仏教では教えています。
「欲界」「色界」「無色界」の三界(つまり現象世界)は、ただ「こころ」によって現れるものだという意味です。
法句経のなかにも、この原理を表現している箇所があります。「心の如く仏も亦爾り、仏の如く衆生も然り、心と仏と及び衆生とは、是三差別無し。諸仏は悉く、一切は心より転ずと了知したまう、若し能く是の如く解らば、彼人は真の仏を見たてまつらん。云々」
意訳すれば、こころに思い描くように現象界は展開するということですが、心と仏と衆生とが同じものだと言及しているところが興味深いところです。
同じような意味を表現しているものとして、聖書のヨハネによる福音書のはじめにも、こう書かれています。「初めに言葉があり、言葉は神とともにあり、言葉は神であった。すべてのものは言葉をとおして存在するようになり、言葉を離れて存在するようになったものはひとつもない」
初めに存在した「絶対理念」は次に言葉となって表明され、それが波動として鳴り響くことによって、すべてのもを存在させるようになったというのです。

現象世界にいる私たちの場合もまた、こころで認めたものを現象として顕わしています。それは聖書に書かれていたのとまったく同じような過程を踏んでいます。まず私たちのこころに思念(想い)が生まれ、次にその思念が言葉となり、そうして現実界のあらゆるものを創りだしているのです。
つまりこの現象世界は、あなたが「ある」と思ったもの、つまり「ある」とこころで認めたものが、そのまま現実として顕われてくるという性質を持っている世界なのです。
「絶対理念」は、自分の裡に分身たる私たちという生命を創造する際、私たちに「絶対理念」と同じ原理の創造力を付与しました。なぜなら、それでこそ分身だといえるからです。ですから私たちは、こころに思うこと(思念)と、言葉によって、あらゆるものを創造することができる能力をもっているのです。
聖書に書かれているように、神が「ひかりあれ」と宣言したら、光が顕われるのです。あなたが「ある」と宣言すれば、それがそのまま現実となるのです。
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物理学が導くもの
このように書くと、なにやら非科学的なことを、さもまことしやかに説明しているようにのように思えるかも知れません。しかし、物理学の最先端である「量子力学」でも、このような東洋哲学と同じアプローチで革新的な理論を構築して成功しています。
たとえば、物質は観測者がその物質を観測したときに、初めてその存在を確定するのだと「量子力学」では考えられていますが、そのことは、「認めたものが顕われる」という原理と同じです。
また、ふたつの現象界が「ある」ということを例に引けば、量子力学では「明在系」と「暗在系」としてそれを表現しています。「明在系」は「暗在系」によって支えられていて、それらは表裏一体として存在すると考えられています。
つまり「現実界」は「明在系」で、「霊界」は「暗在系」で、その対応関係は「現象世界」と「実相世界」にもあてはまります。
また、量子力学の中には「超ひも理論」と呼ばれる考え方があります。
波動と水と生命と(江本勝著PHP研究所刊)からこれについて少し引用すると、「すべての素粒子の正体は、振動する超ミクロの<ひも>である」ということになる。原子の大きさは10−8(10のマイナス8乗:1億分の1センチ)で、陽子や中性子の大きさは10−13(10のマイナス13乗:1兆分の1センチ)、そして、クウォークは10−16(10のマイナス16乗)以下といわれています。そして、超ミクロの<ひも>は、それらよりはるかに小さい10−33(10のマイナス33乗)で、原子の大きさの10兆分の1のそのまた1兆分の1でしかありません。すべての物質の根源は、これほど短い長さの量子<ひも>によって表されていることになります。また、私たちは三次元の世界に住んでいますが、この<ひも>は、10次元という私たちの想像のつかない次元を持って振動しているとされます。そしてこの振動の違いによって、様々な素粒子に姿を変え、世界を形づくっていると理論づけられています」と説明されています。
「超ひも理論」は、次元をたたみ込んだ<ひも>の振動モードの違いによって、物質の成りたちを説明しようとしていますが、興味深いのは、ひとつの極微細な<ひも>が、あらゆる素粒子に変化するというところです。
つまり、物質を構成している最小のものは「ひも」のような振動体であり、その大きさ(小ささ)は、原子の大きさの10億分の1のまた1兆分の1で、この「超微細なひも」の波動(振動)の違いによって、物質はあらゆるものに変化するというのです。
「超ひも」によって出現すると考えられている、素粒子であるクウォークは、真空の中から突然現れるのですが、短いものだと1秒にも満たないうちに、ふたたび真空の中に消えていってしまうのだそうです。
私たちは、一見安定しているように見える物質界に慣れてしまっていますが、じつは物質界はとても不安定で不確定な世界なのです。
相対性理論を考え出したA・アインシュタインは、物質はエネルギーであると結論づけています。ある重さの物質はそれと等価のエネルギーに変換できるのです。D・ボームは精神(こころ)もエネルギーだといっています。
あなたはこの物質とこころとの関係をどう考えるでしょうか。仏典の説くとおり、物質とこころには区別がなく、こころの働きが物質を創りだしているのだとはいえないでしょうか。最先端科学は、それを証明しようとしているようにも思えるのですが。
すべてのものはこころのままに顕われる。物質を支配しているのは、すべからくこころのあり様であったのです。
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環境はこころの鏡
あなたは自分自身の姿をよく観たいと思ったときにはどうしますか?
自分自身では自分の姿を、あらゆる角度から隅々まで観ることは難しいので、恐らくあなたは鏡に自分の姿を映してみるのではありませんか。
大きな鏡に自らの姿を映し出せば、自分では直接見られなかった角度や、隅々までがよく見えるからです。
それとまったく同じように、あなたを取り巻く環境は、あなたのこころの姿を映しだす鏡なのです。
自分では、自分自身のこころのあり様を正確に識ることが難しいので、人は環境という映し鏡に自らのこころを映しだして、自分のこころのあり様を知ろうとするのです。あなたがより良い人生を歩むために、あなたを取り巻く環境は、そのようにしてあなたのこころの整っていないところを教えてくれているのです。
環境はこころの鏡ですから、ゆがんだ心はそのまま、あなたの環境という鏡にゆがんだ環境を顕しだします。貪るこころは貪るという現実をあなたの環境に顕しだし、争うこころは、争うという現実をあなたの環境という鏡に映し出すものなのです。
「このひとのことは嫌いだなぁ」とこころで思うと、あなたを取り巻く環境はあなたのこころを映す鏡ですから、嫌いなその人が、あなたにとって嫌いなようにあなたを取り巻く環境に顕われてきます。
また逆に、「この人のここが素敵だなぁ」とこころで思う(認める)と、同じようにそのあなたの心のあり様が、あなたを取り巻く環境に顕われてくるのです。
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ひと・もの・ことの、常に善い面だけを視ましょう
このように「こころが自分を取り巻く環境をつくる」という法則が働いているのですから、私たちは人や物や事の善い面を視て、悪い面をことさら視ないようにすることが大切です。どんな人にも、必ず善い面(ほんらいは善い面ばかりなのですが)があるものです。少し視点を変えて視れば、あばたもえくぼといいますが、欠点と思っていたところが、案外チャームポイントだったりするものです。
また、ひと以外でもそうです。たとえばある日、あなたが朝起きてカーテンを開けると、窓の外では雨が降っていました。昨夜の天気予報では晴れるといっていたので、朝から洗濯をしようと考えていたあなたは、「なぁんだ、嫌な天気だなぁ」と思ってしまいました。なんだか裏切られた気がして、あなたの気分は朝から最悪です。
でも、雨はあなたの洗濯を邪魔するためにだけ降っている訳ではありません。
雨は豊かな森を育むために、美味しい野菜や果物が育つために、美しい野の花やたくさんの生き物の命を支えるためにも降っているのですし、何よりあなたの生命を支える飲み水としても降ってきているのです。そのことにこころを向ければ、洗濯を邪魔されたことぐらいどぉってことないと思えるかもしれません。♪雨あめ降れふれもっと降れ♪と思わず口ずさんでしまうかも知れません。
このように雨降りというひとつの事象を取ってみても、物事はいつでも正反対の面を併せもっているものなのだということがわかります。問題はそのどちらの面を認めるか(視つめるか)ということで、それがもたらされる現実が何かという事の分かれ目となってきます。
もし、雨が降っていたことで不機嫌になっていたら、あなたは自分の環境に不機嫌なものを引き寄せていたに違いありません。でも、こころの向きを変えて喜ぶ気持ちになったら、きっとあなたの環境にも喜ばしい物事が引き寄せられてくるはずです。
「こころで認めたものが顕われるのが現実世界」なのですから、雨が降ってうれしい、よかったと言える面を認めることが大切です。

私たちは、人や物や事のひとつの面だけを視ただけで、その全体を評価してしまいがちです。しかし、それはあまりに短絡的な考えです。
もし誰かが、あなたのひとつの面だけを捉えて、「あなたという人はこういう人だ」、と決め付けたりしたら、あなたはやはり心外に思うでしょう。ひとや物や事にはそれぞれにたくさんの面があり、悪い面もあるけれども、一方で必ず善い面もあるものなのです。
どうせ眼にしなければならないものなら、あなたはそのことの善い面を視た方がいいとは思いませんか。
ひとや物や事の善い面を視ることが出来るこころは、窓の開いた前向きで明るいこころです。だから善い面が視られるし、だからよいことが起こるのです。このよいサイクルの中にあなたのこころも投げ入れましょう。
ひとや物や事がもっているたくさんの面(意味)の中から、どのような面(意味)を引き出すのかは、あなたのこころのあり様次第なのです。
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環境ではなく、あなたのこころを変えましょう
もし、あなたを取り巻く環境に、あなたにとって不都合な状況が起こっていたら、あなたはまず自らのこころのあり様を振返ってみるべきです。
とかくひとは、自分が満足できない状況にあるとき、満足できない状況を作っているように見える、その相手や物や事にこそ問題があるのだと考えて、それらを変えようとしてしまいます。
しかし、それは懸命な考え方とはいえません。誰も自分以外のひとや物や事などを、直接変えることなどできないのです。あなた自身が変わろうとしなければ、誰もあなたを変えることなどできないようにです。
環境はあなたのこころの鏡なのです。ですから、あなたのこころが変われば、あなたのこころの反映である、あなたを取り巻く環境も変わるのです。
変えなければいけないのは、あなたを取り巻く人や事象ではなく、それを創りだしているあなたの心なのです。

私は以前、朝仕事に出掛ける前に、些細なことで家族と口喧嘩をしてから出勤したことがありました。すると不思議なことに、いつもと同じように注意して車を運転しているつもりだったのに、なんでもない十字路で、出会い頭にほかの車と衝突しそうになりました。
口喧嘩をするという衝突するこころのあり様が、衝突という現実を引き寄せてきたのです。運良くそのときは実際の事故に至らずに済みましたが、なるほど環境はこころの展開そのものなんだなぁ、と納得したものでした。
また、いままで気の合わなかった上司の善い面を視るように視点を変えたら、上司が自分を評価してくれるようになったと、喜んでくれた友人もいました。
この原理はもちろん、人ばかりでなくすべての事象に当てはまりますから、花などの植物や動物にも同じように働きます。そればかりか機械にも当てはまります。
ある友人が、長年連れ添った愛車を手放そうとしたときのことです。その車は古いビートル(フォルクスワーゲン)だったのですが、助手席のドアは軋んで開かない、ホーンもならない、方向指示器も気まぐれで言うことを訊かないという有様の車でした。
さて、実際にそのビートルを手放す朝のことです。当然廃車になってしまう運命のビートルですから、彼は最後のドライブをと考えて、自分で運転して自動車ディーラーに向かうことにしていました。そして、出発のときに長く連れ添ったビートルに彼はいいました。「いままでどうもありがとう。これから一緒に最後のドライブを楽しもうよ」と。
ディーラーに向けて走り出した友人は、しばらくしてある異変に気がつきました。いままで鳴らなかったホーンがなんと鳴るのです。方向指示器も俄然言うことを訊きます。慌てて確かめてみると、何故か助手席のドアもスムーズに開閉できるのです。
いままで言うことを聞かない、使えない車だ、と思っていたときには不具合ばかりだったのに、感謝のこころで接するとそれがそのまま機械にも顕われるのです。それは機械という物質の実質もこころだということを示しています。仏典にあるとおりこころと仏と衆生と三つに差別なしということなのです。

例えばあなたといま向き合っている人たちは、あなたのこころを鏡のように映し出している存在です。あなたが攻撃するように身構えれば、鏡に映った相手も当然同じ攻撃のポーズをとるでしょう。また逆に、あなたの向き合う人に対して笑顔を向ければ、その人もあなたに笑顔を向けているでしょう。その人や物や事にほんらい備わる善いところを認めて視つめれば、その善いところがあなたの前に現れて来るのがこの現実世界の法則なのです。
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 ◆ 心に巣食う罪悪感
私たちが抱く感情の中で、最も忌むべき感情は「不安」と「恐れ」です。これらはあなた自身を破壊して、せっかく味わうべき人生の素晴らしさを台無しにしてしまうものです。
イエス・キリストは、「あなたの恐れることが、あなたに起こる」と言いました。不安と恐れは、あなたにとって善くないことを引き寄せてしまうマイナス波動そのものなのです。

「不安」という感情が、あなたのこころの中に芽生えてくるのは、あなたが物事を悲観的に観る傾向が強いからかも知れません。しかし、どうしてあなたは自分の未来を悲観的に見てしまうのでしょうか。
それはあなたが、「自分は幸せになる資格など無い」、とこころの底で思っているからかも知れません。
その感情はあなたの表面からは姿を隠し、あなたのこころの奥深くに潜んでいますが、こころの奥のあなたはそれを識っていて、その通りになるように行動していかも知れないのです。
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不安の正体
たとえば、まだスキー板を履いたこともなかった人が、いきなり超難関のダウンヒルコースを滑り降りようとしていたら、「不安」に襲われるのは当たり前のはなしです。難しいことにあなたが挑戦しているとき、ふと心をよぎる不安は病的なものではありません。
しかし、万端平穏に運んでいる毎日の中で、あるいは好機に恵まれている日々なのに、どんよりと垂れ込めるような不安という暗雲がこころを覆っているのだとしたら、それは普通の状態ではありません。そのような時には自らを省みてみる必要があるでしょう。
運転もうまいといつも褒められている。自動車の整備もしてもらっている。自動車保険にも入っているし、その他の考えられるリスクヘッジはすべてしている。だのに、ハンドルを握ると突然に、漠然とした不安に襲われて胸が苦しくなる・・・このように対策が立てられているにも拘らず「漠然とした不安」に襲われる場合も、こころの奥底の風景をチェックした方がいいでしょう。
「トラウマ」という心理学用語があります。今では一般に使われる語句となったこのことばは、私たちのこころの奥で血を流している、「心的な傷」をさしています。そしてこの「こころの傷」は、あなた自身が創りだしたものなのです。
あなたをじわっと襲う「何とはなしの不安」。その正体はあなたの潜在意識に潜むトラウマが、助けてほしいと叫び声をあげていることが原因かも知れません。その叫びがあなたを漠然とした不安に陥れ、恐怖させているのかも知れないのです。
そしてその叫びをこのまま放置すれば、それはあなたのこれからの人生に暗雲をもたらすものとなる可能性が高いでしょう。
瞑想やアファメーションなどを行っても不安感が払拭できないときや、いつも同じような問題に突っかかってしまうような場合、またその他のセラピーや治療法で効果が上がらないときには、催眠誘導療法(ヒプノセラピー)を受けて、こころの奥底に隠されている叫びの正体を探し出し、そのマイナスのエネルギーを解放してしまうことをお勧めします。
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セルメモリー
私たちは、いまの「この世」だけに生きている存在ではありません。私たちは過去に何回もこの地上に肉体をもって生れ落ち、さまざまな人生を送った「過去世」をもつ、生まれ変わる存在です。
あるときは大富豪であったかも知れませんし、あるときは敬虔な修道士だったかも知れませんし、またある時は堕落した小悪党だったのかも知れません。
いずれにしても、私たちはたくさんの「過去世」の経験を自らの意識の底にしまいこんでいます。また細胞のひとつひとつにも「セルメモリー」としてその記憶は残っています。それらの経験という記憶の中で、どれかの転生のときの苦い経験の残滓が潜在意識下に淀み、それが「現世」の私たちの意識によからぬ影響を与えている可能性があります。
そういった過去世から引きずってきているトラウマにしても、この現世でのトラウマにしても、あなたでさえ忘れているそれらの「こころの傷」が、あなたに原因不明の「漠然とした不安」や「滲むような恐怖」の感覚を起こさせている張本人である場合が多いのです。
また「セルメモリー」は細胞時計のようなものを持っていて、ある時期がくるとネガティブに変化し始めることがあります。それは前世や過去世に対照して、その同じ時期に同じ症状を肉体のある部位に起こさせるように働きます。
このセルメモリーの存在は、心臓移植をしたアメリカのある女性のケースで確認されました。
彼女は重度の心臓病のため、ほかの人の心臓を移植したのでしたが、移植が行われた後、頻繁にある悪夢を観るようになしました。やがて彼女は、覚醒時にも自分のものではない記憶が意識に浮かび上がってくることに気付きます。
そしてその記憶には、ある殺人のシーンが含まれていました。彼女に心臓を提供した女性は事故死だとされていたのですが、この移植された女性の記憶が発端となって捜査のやり直しが行われ、心臓を提供した女性を殺した真犯人が逮捕されたのでした。
彼女に移植された心臓の細胞が、殺人などの場面を記憶していたとしか考えられないケースとして、この事件は評判になりました。このように確かに「セルメモリー」は実在するのです。
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自己審判が「罪悪感」をつくる
私たちは「幸せになりたい」と願っているのに、自ら不幸に陥ろうとすることがあります。これを「自己処罰」といいますが、自己処罰は、あなたのこころに潜む「罪悪感」のなせる業です。
それはあなたが過去に犯した行為、あなたはもう忘却の海に捨てたつもりでいたその行為を、あなた自身が許していなかったことが原因です。
あなたの現在意識(顕在意識ともいいます)に疎まれ追いやられた、その行為が生み出した行き場のない感情は、あなたのこころの奥深く、潜在意識に沈んでいって息を潜めました。それはあなた自身の行為を咎める感情で、あなたはそれを認めたくなかったのかも知れません。しかし、あなたの奥にあるこころ自己審判作用は、その行為に「有罪」の判定を下したのです。このとき、隠された「罪悪感」が生まれました。
やがて、あなたのこころの自己審判作用の判定に従って、あなたの奥のこころが働き始めます。潜在意識に巣食った罪悪感が、罪の償いをするために動き始めるのです。彼は「自己処罰」の環境をつくろうとします。あなたが「ふと思いついて」選択したことや、つき合う人、相談する相手など、色々な環境操作を駆使して、あなた自身に罪の償いをさせようと仕組むのです。
これらの「罪悪感」の犯す自己処罰の悪夢から逃れるためには、あなたのこころの奥底から、これらの「罪悪感」を払拭しなければなりません。あなたの潜在意識を浄化して、悲しい自己処罰行為を止めさせなければなりません。
しかし、これら潜在意識に潜んでいる「罪悪感」は、顕在意識から隠れた存在なので容易にその姿を見つけられません。
私たちは自らの心の奥深く分け入って、罪悪感の元となっている原因を突き止め、自ら癒す必要があります。これが罪悪感の浄化なのです。これは【魂の浄化】といっても善いのかもしれません。
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罪悪感の浄化法
見つけにくい「罪悪感」を浄化するには、ふたつの方法があります。
ひとつめは、「ほんらい罪なし」の自覚を自身の潜在意識にしっかりと植えつけること。
ふたつめは、「催眠誘導療法【ヒプノサラピー】」を用いて、潜在意識に潜む「罪悪感」の原因となった出来事を再体験し、そのマイナスのエネルギーを放出してしまうことです。
「罪悪感」はあなたが創りだしたものです。「絶対理念」が創りだした「実在」のものではありません。ということは、罪悪感はこの現象世界に仮に現れているだけのものです。仮に現れているものですから、それはほんらい無いものです。ほんらい無いものだからこそ、「ほんらい罪なし」の真理をこころから認めれば、たちまち消えてなくなってしまうものです。

実相世界は「善一元」の世界です。かつて誰も罪を犯したものなど無く、実相世界にはそもそも罪というもの自体がありません。つまり、罪というものも、罪を感じているあなたも、ほんらい無い現象という仮の存在なのです。
実在するのはただひとつ、ほんらい罪なしの実相生命だけです。
原理的にいうと、あなたが罪を捨てることによって、罪のないあなたになるのではありません。私たちがほんらい罪をもたない実在人間だから、その実像が顕われるのです。もとから、はじめから、罪を持たないあなたしかいないのです。実相世界の生命は「ほんらい罪なし」です。
もし初めから罪が存在していたとしたら、私たちにはそれを拭い去ることも消し去ることも決して出来ないでしょう。なぜなら、初めからあるものは【絶対理念が創造したもの】だけだからです。それは完全であり絶対であり、初めなき初めから終わりなき終わりまで在りてあり続けるものだからです。
罪の意識に苦しんでいるのは、現実界の現象のあなただけです。あなた自身が本来ありもしない「罪」というものを勝手に創りあげ、そして自分でそれに囚われて苦しんでいるだけなのです。
日本に古くから伝わる『言霊学』では、「罪」の語源は「つつみ」とされています。これはほんらいの生命の働きを覆うように包み隠してしまうもの、その作用がが「罪」そのものだからです。

さて、罪を消そうとすることは、罪が「ある」ということが前提です。すると罪を消そうとすることは、罪があるという自分を認めていることになります。認めたものは顕われるという法則があるのですから、その罪はなくなりません。
罪はほんらい無いのです。罪深い自分もほんらい無いのです。ただ実相世界だけが実在し、そこにある実相生命だけが実在するのです。現象の、仮の姿の、ほんらいは実在しない罪に惑わされてはいけません。ほんらい無い現象の自分に惑わされてはいけません。ひとつの曇りも穢れもない、ほんとうの生命である自分だけを認めましょう。

昔の中国に、とても偉い禅宗のお坊様がいらっしゃいました。その弟子の一人の修行僧がお坊様に言いました。
「悟りを得ようとしても、どうも迷いがあってうまく行きません。どうしたらよいでしょうか」
するとお坊様が言いました。
「よし、わかった。わしがその迷いとやらを退治してやるから、早速ここへ出してみよ」
弟子の修行僧はそれではと、自分のこころの中の迷いを掴み出そうと探しました。でも、それが見つかりません。
その姿を観てお坊様が言いました。
「迷いなどというものは、ほんらい無いものじゃ。その無い迷いに引っかかって、あると思うからつまづく。迷いなどほんらい無いと知れば、たちどころに迷いが無いということに気づくものじゃ」
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浄化法の実際
ほんとうは罪を背負った自分というものは「無い」のだ、という真理をこころから認めるためには、メディテーションとアファメーションを生活に取り入れることが必要です。
メディテーション(瞑想)することで自分の内側にこころの目をむけ、自分の裡からなる声に耳を傾ければ、ほんとうの自己への扉がきっと見えてきます。そして自らのこころの奥に在る、金剛不壊の光そのものの実相の自己を凝視すれば、ほんらい罪なしの現象の自己が「こころの法則」に従って顕われてきます。
また、短い真理のことばを繰り返す「アファメーション」を行うことによって、潜在意識自体に潜在意識を浄化するように働きかけ、「ほんらい罪なし」を自分のものにしてください。
メディテーション(瞑想)とアファメーションの実際については、
こちらのページにに詳しく記述してありますので、参考にして行ってください。
また、メディテーションとアファメーションで顕著な改善が見られない場合は、催眠誘導療法【ヒプノセラピー】の活用を考えてみるのもひとつの方法です。
あなたの潜在意識に巣食う「罪悪感」や「トラウマ」は、あなたからの追及をどうにかして逃れようとするものです。この場合は原因そのものがあなたが潜在意識の深いところにアクセスするのを阻んでいる可能性があります。表面のあなたは気付いていませんが、あなた自身が無意識のうちに自分の心の奥をブロックしてしまっているのです。それらに対して強制的に向き合うためには、この催眠誘導療法【ヒプノセラピー】が効果を発揮します。
催眠誘導によってリラクゼーションを行い、問題の原因となった時へ心のイメージでさかのぼるのです。そうすると今まで見えてこなかった原因が現れてきます。そしてその原因と向き合うことが癒しの始まりになるのです。
催眠誘導療法【ヒプノセラピー】の実際については、
こちらのページに詳しい記述がありますので是非ご覧ください。

私たちは幸せを求めながら、幸せに背を向けてしまうことがあります。しかし、その行為はほんとうのあなたが求めたものではありません。あなたは幸せを実現するべきです。
「ほんらい幸せ」である実在の自己を識れば、誰しも「幸福な現象」を、この現実界に顕すことが出来るのです。あなたは幸せになれます。「自由」と「愛」をその手につかむことが出来ます。その理由は簡単です。それは、すでに「それら」をあなたが『いま、ここで』手にしているからです。
いま、ここ、このときに、あなたはすべてを握っています。この真理に気づいてください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
□ 今日から「瞑想・メディテーション」と「アファーメーション」をはじめましょう □
□ あなたにできる、多くの人のために役立つことを何かひとつはじめましょう □
□ いつでも「笑顔」と「思いやりのある言葉」と「善き面を見つけて褒める」ことを忘れないでください □

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